10月4日ニジニノブゴロド市内
ニジニノブゴロドはドイツに占領はされなかったが、独ソ戦を勝利するうえで重要な役割を果たした戦車T34や対地攻撃機を造って戦場に送りこんだ。戦後も重要な軍事生産基地であったため外国人を立ち入らせない閉鎖都市であった。帰ってから見たBS番組でソ連の高級車ヴォルガの生産工場もあることを知った。ソ連崩壊後倒産の危機をアメリカのエンジンを装備しスタイルもスマートアップして乗り切ったそうだ。
広場に立つレーニン像 通訳はスターリンは嫌われているがレーニンは尊敬されていると話した。背景に建つ住宅の窓にエアコンを装備しているところは少ない。ここだけではなく他の都市でも同じだった。温暖化のせいか暖房靴まで用意せよと旅行前に言われたが全然寒くない。最後のモスクワが少し寒いという感じだった。
ここに限らず廃屋となった木造の古い建物が大都会にもたくさん残っていた。中にはややましと思われる建物では店舗に使われているものもある。あちこち見ていて気になったのはロシアの経済活動レベルであった。あとで詳しく触れるが、どこの地域も経済の活発化を象徴するような風景には出会わなかった。
ソ連時代の英雄飛行士、ヴァレリー・チカロフの銅像。1936年にツポレフ製飛行機でモスクワから北極点を通りアムール河口までの9374キロを無着陸飛行、翌1937年にはモスクワからバンクーバーまで、12000キロを飛んだ冒険家だ。1925年に朝日新聞社機が東京からモスクワまで飛んだが、勿論無着陸ではなく1カ月近くの時間が掛っていることを思うと大変な偉業である。しかし、チカロフは知られていないなあ。
クレムリン内にある永遠の炎をまもる衛視。銃を持っているが兵ではなく、この地域の青年男女がボランティアで1時間交代位でやっているそうだ。本物と同じように衛兵交代のセレモニーも格好良くやっていた。
資本主義国になって26年。あちこちにある戦死者慰霊碑とその警備が、いまだに続いているのは、ロシア人が大祖国戦争で負った犠牲の悲しさとファシストに勝利した栄光を忘れていないということだろう。
午後4時頃港に遅れてついたショーロホフ号に乗船。長さ100メートル位の5階建て3800トンの川舟。この日から5泊6日をこの船で過ごすことになる。
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